結局、楽しめたヤツが勝ち | デイリーもった Ver.1.16

0069
人間の行動は、「楽しさ」というのがキーになっている。
その行為が楽しい、その行為をやってる自分が好き、など、快の感情を原動力に行動を起こす。
この「行為の楽しさ」とは何で構成されているのか。

楽しさを構成する2つの要素

Skitched 20120316 234955
楽しさを構成している要素は2つ。
一つは、その行動・行為自体の面白さ。
もうひとつは、それを楽しむ自分の器量だ。
今回、例として、「ディズニーランドへ行く」ことをあげてみる。
「ディズニーランド」という、多くの人の力で作られたテーマパークには、それそのものに「面白さ」が存在する。
夢のような場所。本物と見まごう風景。
行く側の人間は、何をする訳でもなく既に十分魅力的なのだ。
次に、自分の器量。
それ自体を「受け入れる」能力、とでも言うだろうか。
ディズニーが大好きであれば、受け入れる能力も高い。
逆に、嫌いであれば全く受け入れられないというケースもあり得るだろう。
ここは、人それぞれ持っている感情そのもの、と言えるかもしれない。

楽しさグラフ

では、楽しさはどう変わっていくのだろう。
「ディズニーランドへ行く」行為の楽しさにあわせて、「ディズニーランドへ行く」ことを受け入れる能力が比例的に作用していく。
グラフにするとこんな感じだろうか。(数値は適当だ。)
Skitched 20120316 224625
普通の人はだいたい75%ぐらいの楽しめる度だとしよう。ちょっと好きな人やもっと好きな人はそれ以上に楽しめる。
反面、嫌いな人はどうなるだろうか。
受け入れる器量がそもそも備わっていないので楽しむ楽しまない以前の問題である。
ちょっと嫌い程度の人なら、もしかするとそのサービス内容やコンテンツの内容で楽しめる可能性もあるが、心の底から嫌いな人は恐らく取りつく島もない。
これでは楽しみようがない。
たとえ元々楽しいものだとしても、受け入れられる器量次第で楽しめる率は変わってしまうのだ。

元々の楽しさは物事によって違う

もう少し話を広げてみる。
ここに、スポーツも追加してみよう。
Skitched 20120316 225833
スポーツとは、ディズニーと違い、プレイする本人の創意工夫に依存する部分が大きい。
なかなか楽しめず、そのまま嫌いになってしまう人も少なくない。
だが、逆に、創意工夫しはじめたらどうだろう。
だんだんスポーツが好きになり楽しめる率はぐぐっとのびていく可能性もあるのだ。
この「創意工夫」ができるか、というのが実はキーポイントになる。
その行為自体、面白いものであってもつまらないものであっても、自分がどうするか、どうとらえていくのかで面白くもつまらなくもなるのだ。

結局、楽しめたヤツが勝ち、という仮説

0668
ちょっと話は右往左往したが、今回言いたい事はシンプル。
はじめから楽しい事なんて世の中には一つもなくて、自分が楽しく取り組む事で、だんだん面白くなる、ということ。
面白いか面白くないかは、自分の心が決めているのだ。
どんな事でも、「楽しんでやろう」と努めてみよう。
向き不向きはあると思う。
好きになれないのであれば無理しなくていい。
ただ、どんな事にでも少しだけ「どうすれば楽しくなれるか」というスパイスをかけてみる事をおすすめしたい。

おもしろきこともなき世をおもしろく
すみなすものは心なりけり
via: 高杉晋作 – Wikipedia

このサイトをフォローする!

この投稿へのコメント

コメントはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

この投稿へのトラックバック

トラックバックはありません。

トラックバック URL